第2章 今だから言えるあの頃の悩み

それまで看護師として経験してきたことが全く役に立たないほど、3人目の子育ては不安や心配がいっぱい。
まず第1子の時より10年経っていて自分の体力的にキツかった。日曜日の夕方、病院のエレベーターの中で歩けなくなり、誰もいないロビーを這って公衆電話まで行ったこともありました。病院だから整形外科で診てもらうことも出来たはずですがそのツッコミはしないでね。(笑)その時は整体院に片っ端から電話して、たまたま先生方の研修で開いていた整体院で診て貰い歩けるようになりました。

当時の大きな悩みは、この先どんな病気や障害がうりりんに判明するかわからないという、起きるか起きないかわからない不安でした。考えてもどうしようもないことだったのですが毎日悩んでました。今思うと笑っちゃうんですけどね。

一方で、その悩みがあったからこそ、常に「今の自分がうりりんのために出来ることは?」と考えてもいました。
母乳はお母さんの食べたもので出来ているということ以上に、そのお母さんがどのタイミングで出産したかによっても母乳に含まれるものは微妙に変わる、未熟児には未熟児にあった母乳が出る、ということは母乳で育てたい私の励みとなりました。

私の搾乳し続けた両胸は血管が切れて紫色に変わっていましたが、そのことは私の誇りでもありました。

何かをやろうとした時、その自己犠牲が全て悪いわけではありません。やりたかったらやっていいんです。でも、やりたくないことなら自分の気持ちに正直になっていい、私の子育てはそれを学ぶための30年間だったと思います。

もう一つ子育てで学んだ大事なことは周りと比べないこと。誰かが言った指標に合っているかいないかなんて本当に何の意味もなかった。赤ちゃんの平均体重が○g〜○g。自分の子がそこに入っているから安心とか入ってないからダメなんて一つもないってことを、末っ子の未熟児ちゃんが気付かせてくれました。

育てにくい子どもを育てているママたちは基準値やみんなが出来てるとかそういう他の基準に自分や子どもが合ってないことに不安になりますが、もっと目の前の子どもを信頼して「今は成長の途中、過程の中」で、全体の推移というもの、誰にでも凸凹はあるということを冷静に見た方が楽になります。そんなことも今だから言えることですけどね。

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